松岬神社に祀られている上杉景勝を紹介しています

上杉景勝


弘治元年(1555年~1623年)越後国魚沼郡上田庄(現・新潟県南魚沼市)の坂戸城下に上田長尾家当主・ 長尾政景の次男として生まれました。 母は謙信の姉、仙桃院で叔父・上杉謙信の養子となり上杉氏となります。
天正6年(1578年)謙信が死去すると上杉景虎と戦い、上杉家の家督を相続、 越後春日山城を本拠とする上杉家第二代当主となりました。
その後、豊臣秀吉の重臣五大老となりますが、1598年秀吉より越後から陸奥国会津へ移封(120万石) の国替えの下命を受けます。
更には、1600年の関ヶ原の戦いの翌年、慶長5年徳川家康より出羽国米沢(30万石)への移封の命が下ります。
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それは北信越の大大名から出羽半国の一大名へと転げ落ちた凋落の瞬間でした。 この米沢への減移封の際、景勝は家臣を召し放ちを行いませんでした。
この事が後世の米沢藩の財政難の原因と云われています。
私には謙信の二代目景勝も信玄の息子勝頼も同類のお坊っちゃんとしか映らなかったのですが、 彼らにとって不幸なことは、父親が余りに偉大すぎた。
しかしその後移封ながら上杉家を存続させた景勝は、おしなべて名君と云って良いでしょうね。。
出羽米沢藩初代藩主上杉景勝、墓所は米沢市御廟の上杉家廟所、 祭神として松岬神社に祀られています。
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